斎藤雅樹、榎本喜八、工藤公康、殿堂入り [スポーツ]
2016年1月18日(月)に競技者表彰プレーヤーとして
斎藤雅樹さん、工藤公康さん、榎本喜八さん
の3名が選ばれました。
3人は野球殿堂入りを果たしました。
そんな3人の活躍を振り返りたいと思います。
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<斎藤雅樹>
引用)http://www.giants.jp/G/player/img/img_20150210100224544_391190369224298482.jpg
1982年にドラフト1位で読売巨人軍に入団。
1985年にはローテーションに定着して12勝を挙げる。
その後、ノミの心臓で気が弱いという評価などから、
王貞治さんからは「斎藤は先発には向かない。」と言われながらも
1989年には3試合連続完封勝利を含む11試合連続完投勝利の日本記録を達成。
翌年の1990年には8試合連続完投勝利を挙げるなど、20勝を挙げる。
「平成の大エース」「球界のエース」「ミスター完投」とも言われました。
そして2001年に引退しました。
2年連続20勝を達成しているのは
斎藤雅樹選手を最後に現れていないそうです。
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<工藤公康>
引用)http://www.nippn.co.jp/entertainment/enjoy/wellness/__icsFiles/afieldfile/2013/02/08/p03.jpg
1981年にドラフト6位で西武ライオンズ に入団。
1位じゃないんですね。ちょっと意外でした。
当初は中継ぎメインでの起用で1985年から本格的に先発投手へ。
1987年は15勝を挙げる。
またシーズン最多の23完投を記録。
最優秀防御率、最高勝率とベストナインのタイトルも合わせて獲得。
1991年には16勝を上げ最高勝率を獲得。
1992年はチームのリーグ優勝と日本一に貢献。
1993年のシーズンは15勝3敗。
最優秀防御率、最高勝率、ベストナイン
そして自身初となるパ・リーグMVPを受賞しました。
その後
1995年。福岡ダイエーホークスへ移籍。
1996年は初の最多奪三振のタイトルを獲得。
1999年はエースとして11勝を挙げ最優秀防御率、最多奪三振のタイトル及びMVPを獲得。
優勝も経験しました。
そして2000年に読売ジャイアンツへ移籍。
「優勝請負人」として活躍。
移籍1年目から優勝を達成しました。
2005年には当時リーグ最年長関東記録を達成しました。
2007年に横浜ベイスターズへ移籍。
2010年に西武ライオンズに移籍し、その年戦力外通告を受けました。
本人は現役続行を希望していたようですが
他球団の獲得の名乗りがなかったため引退しました。
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<榎本喜八>
引用)http://blog-imgs-40.fc2.com/o/l/d/oldrookie/081214ek.jpg
1955年にテストに合格したことにより、毎日オリオンズに入団。
高卒1年目ながらオープン戦で活躍し、開幕戦から5番打者を任される。
新人にして「安打製造機」と呼ばれたそうで
新人時代からとんでもない活躍ですね。
1960年には打率.344で首位打者を獲得。
1961年では通算1000本安打を達成し、プロ野球史上最年少記録を樹立。
1966年にはリーグ1位の打率.351を記録。
1968年にプロ野球史上3人目となる通算2000本安打を達成。
31歳7ヶ月での達成でプロ野球史上最年少記録だそうです。
1972年に西鉄ライオンズに移籍したものの活躍ができずに引退しました。
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3名とも殿堂入りするだけあって
記録に残る活躍をされていますね。
斎藤雅樹さんと工藤公康さんは現役で見ていて覚えている方も多いのではないでしょうか。
現在工藤公康さんは監督、斎藤雅樹さんはコーチとして活躍されています。
今後も日本プロ野球会を盛り上げていって欲しいですよね(^^)
以上
斎藤雅樹、榎本喜八、工藤公康、殿堂入り
でした
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斎藤雅樹さん、工藤公康さん、榎本喜八さん
の3名が選ばれました。
3人は野球殿堂入りを果たしました。
そんな3人の活躍を振り返りたいと思います。
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<斎藤雅樹>
引用)http://www.giants.jp/G/player/img/img_20150210100224544_391190369224298482.jpg
1982年にドラフト1位で読売巨人軍に入団。
1985年にはローテーションに定着して12勝を挙げる。
その後、ノミの心臓で気が弱いという評価などから、
王貞治さんからは「斎藤は先発には向かない。」と言われながらも
1989年には3試合連続完封勝利を含む11試合連続完投勝利の日本記録を達成。
翌年の1990年には8試合連続完投勝利を挙げるなど、20勝を挙げる。
「平成の大エース」「球界のエース」「ミスター完投」とも言われました。
そして2001年に引退しました。
2年連続20勝を達成しているのは
斎藤雅樹選手を最後に現れていないそうです。
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<工藤公康>
引用)http://www.nippn.co.jp/entertainment/enjoy/wellness/__icsFiles/afieldfile/2013/02/08/p03.jpg
1981年にドラフト6位で西武ライオンズ に入団。
1位じゃないんですね。ちょっと意外でした。
当初は中継ぎメインでの起用で1985年から本格的に先発投手へ。
1987年は15勝を挙げる。
またシーズン最多の23完投を記録。
最優秀防御率、最高勝率とベストナインのタイトルも合わせて獲得。
1991年には16勝を上げ最高勝率を獲得。
1992年はチームのリーグ優勝と日本一に貢献。
1993年のシーズンは15勝3敗。
最優秀防御率、最高勝率、ベストナイン
そして自身初となるパ・リーグMVPを受賞しました。
その後
1995年。福岡ダイエーホークスへ移籍。
1996年は初の最多奪三振のタイトルを獲得。
1999年はエースとして11勝を挙げ最優秀防御率、最多奪三振のタイトル及びMVPを獲得。
優勝も経験しました。
そして2000年に読売ジャイアンツへ移籍。
「優勝請負人」として活躍。
移籍1年目から優勝を達成しました。
2005年には当時リーグ最年長関東記録を達成しました。
2007年に横浜ベイスターズへ移籍。
2010年に西武ライオンズに移籍し、その年戦力外通告を受けました。
本人は現役続行を希望していたようですが
他球団の獲得の名乗りがなかったため引退しました。
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<榎本喜八>
引用)http://blog-imgs-40.fc2.com/o/l/d/oldrookie/081214ek.jpg
1955年にテストに合格したことにより、毎日オリオンズに入団。
高卒1年目ながらオープン戦で活躍し、開幕戦から5番打者を任される。
139試合・592打席・490打数・84得点・146安打・24二塁打・7三塁打・87四球・5敬遠・5犠飛・出塁率.414はすべて高卒新人の歴代最高記録であり(三塁打はタイ記録)、打率.298・67打点・232塁打・10死球も1986年の清原和博に破られるまでは歴代最高記録であった。
引用)Wikipedia
新人にして「安打製造機」と呼ばれたそうで
新人時代からとんでもない活躍ですね。
1960年には打率.344で首位打者を獲得。
1961年では通算1000本安打を達成し、プロ野球史上最年少記録を樹立。
1966年にはリーグ1位の打率.351を記録。
1968年にプロ野球史上3人目となる通算2000本安打を達成。
31歳7ヶ月での達成でプロ野球史上最年少記録だそうです。
1972年に西鉄ライオンズに移籍したものの活躍ができずに引退しました。
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3名とも殿堂入りするだけあって
記録に残る活躍をされていますね。
斎藤雅樹さんと工藤公康さんは現役で見ていて覚えている方も多いのではないでしょうか。
現在工藤公康さんは監督、斎藤雅樹さんはコーチとして活躍されています。
今後も日本プロ野球会を盛り上げていって欲しいですよね(^^)
以上
斎藤雅樹、榎本喜八、工藤公康、殿堂入り
でした
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